昭和44年10月16日 夜の御理解             
                      入力者=甲斐田誉(臼杵のご信者さん)


今晩は内田さん所のお父さんの御たち日で御座いましたから、御祈念に合わせて御霊様に御挨拶をしてくれと言う事で御座いましたから、ただ今、心ばかしの真心を集めて、家族 ? ばかりが御霊様に只今、玉串を奉らして頂いたんです。ご挨拶をさして頂きよりましたらネ、まァ言うなら、内田の家のめぐりと言うか、その為に非常な様々な、難儀な事があって、まァ、言うなら、がんじがらめに、括られた様なもので、その自由が利かない程に有ると言うのは、御霊様の世界も人間の世界も同じ様に、そう言うめぐりが深い家であったと、それがネ、段々、段々そのめぐりが、がんじがらめに括られて居るのが一つ一つこうやって、解かれて行く所を御神眼に頂いた。いわゆる、めぐりが解けて行きよると言う意味だと、私思うんですけれども、丁度、あの銭形平次なんかのネ、推理もの、探偵もの、の映画なんかを見ますと、その手掛かりを作って、その本当の、例えば、その事件を本当の犯人を見出して行くネ、その事件を解決して行く為には、一つ一つ色々な工夫があり、苦心が有り、その手掛かりを得て行く訳なんです。信心をさして頂いていれば、一番に解る事はネ、本当に神様の御かげを頂かなければ立ち行かんと言う事であり、人間の幸せと言うのは天地の中に有る法則、天地の中にある、一つの定めと言うものに添うた生活をしなければ、人間は幸せになれない。人間の世界に一つの法則と言う、警察法なら警察法と言った様な法がある、税法なら、税法と言った様なものがある、その、なら税法に従って、刑法に従ごうて行かなければ、私共が、例えば悪い事をすれば警察法に引っかって、縛られなければならない様に、この宇宙、天地の中にも、そう言う一つの定めが有る、それを天地の法則と言う、ですから、その法則を無視した生活をさして頂いて居る所に大変な人間の難儀があるのです。窮屈な思う様にならない、それは縛られておる姿なんですネ、ですから、私共はそこん所に、この一つの目が開かして頂きます事を信心の目が開けると、こう言う訳ですけれど、だから、これからは神様の心に叶う生き方、言うなら、天地の法則に従ごうた生き方をして行こうと言う事であるネ、只、従ごうて行こうと言う事では無くてです、ネ、言わば神様がお喜び頂ける様な生活に入って行くと言う所に、成るほど、恩赦が有ったり、ご褒美が有ったり、言わば、めぐりの御取り払い、と言うものが段々でけ行く、と言った様な具合じゃないか、と風に思うんです。ですから、私共が幸せになる為の、その手掛かりと言うものを、先ず作らにゃきゃいかん。幸せになる為の手掛かりを作る。そして、その手掛かりを一つ本当な所へ進む。そして、又そこに迷路に入る、いわゆる、如何にも、もう自分は御かげを受けられんのだろうかと、思うような所にぶっつかるけれども、いわゆる、迷宮入りする事なく、そこから、次の又手掛かりを頂いて、段々手掛かりを求めて、いわば、その事件が解決して行く様に御霊様の開放と言うかネ、御霊様がイヨイヨ安心の御霊、楽の御霊、喜びの御霊としての御かげを頂いて行かれると同時に遺族の者、私もこの様に信心の稽古をさして頂いてる者、一つ、一つ、心ん中に有り難いものを頂かして貰ろうて、いわゆる、楽な世界と言うかネ、いわば、御かげの世界、自由と言うか、思うて居る以上の事が頂けて来る、御かげの世界に出て行く事が出来るネ、私、今晩、御霊様の、その姿を拝ませて頂いて、ネ、一つ、一つ手掛かりを得ては、めぐりの御取り払いを頂いきます。一つ一つだから楽になって行きよる、これから、とても、まだまだ限りなくその手掛かりを得ては、はは、ここん所が間違いばい、これが御無礼になっとったじゃろう、ここん所がお粗末になっておったのじゃなかろうかと、そこの手掛かりを得ては、手掛かりを、手掛かりとして、次の信心に進んで行く所の御かげ、取り分け、こうして、例えば、そう言う理屈は抜きにしてです、御先祖の御霊様の慰霊のお祭りをすると、先祖のお喜び頂ける様なもの、家族中の者が思いを込めてそれをさして貰うと言った様な事は御霊様も喜ばれるだろうが、もっと喜ばれるのは天地の親神様なのです。私は親孝行すると言う事が神様の本気で親孝行さして貰おうと言う気になっただけで、いわゆる、御かげが頂けるでしょうが、本気で親孝行さして頂こうと思うただけで御かげ頂くのですから、それを実際の上に先祖に、の親孝行するのですから、神様の喜んで下さらぬ筈が無い、そう言う喜びがです、これは手掛かりも何も無い、そのもゥ、喜びはそのまま、めぐりを薄うして行く、いわゆる、御かげの世界に出て行ける事が出来ると言った様なものを感じた訳ですけれどもネ、一つ本気で私共の難儀の元である所の、所謂、難儀の解決と言うものを、御教えを頂いて、手掛かりを作って行く。だから御教えを頂くと言う事は、その手掛かりを作って行く事だと思うですよネ、そして自分の心に思い当たる所がある、自分の心の中に改めなければならない所が有る、それを改めたり、手掛かりを作ったりして、その前進して行く所から本当の御かげの世界と言った様な世界に到達する事が出来るのだと思います。そう言う意味で今日は御霊様のお喜びをですネ、別に手掛かりを作った訳ではないですけれども、まァ、言うなら、そう言う手掛かりを持って御霊様が楽になられると言う感じ、これが又、こちらの遺族の人間の世界の上にもです、それが通うて来る事を私は信じますですネ、どうぞ!!